高い所から低い所に水が流れるような行為とかお金持ちが貧乏な人にお金を恵んであげるような行為が教育とは思わない。教育は対等な関係であり闘いのようなもの恋のようなものでもあるが、本質はコミュニケーションである。人は皆悪人なのですからわたしも悪人です、あなたも悪人であることを悟りなさい、そうすれば救われますというお釈迦さまの考えに似ているかもしれない。両者が対等に自己に向き合わなければならない。自己への問いかけと相手への問いかけは同質でなけれぼならない。
自分に対して問いかけないことを人に問いかけてはならない。教育について考えることは自分について考えることである。
議論の本質は、相手の言葉を借りて自分の算数の不足を自分で発見しようとすることである。自分の或る部分を否定し止揚することである。ところが残念なことに自分を否定できる人は多くはない。心が壊れ拒否するのだ。