セオリー

セオリーによるプロジェクトは破綻する。セオリーにより判断する個人も企業も破綻する。セオリーを疑い否定できるとき、否定が緻密であるなら破綻を免れる。緻密なセオリーは存在しない。背景は静脈のようにひとつとして同一ではないからだ。

世間に流通するセオリーは、現場に通用するものは何ひとつ無い。緻密にねりあげられた現場のセオリーもセオリーになった途端、つねに否定されるべき本質であることには変わりがない。

セオリーに保存共有されるべき価値はない。疑問と否定とにより自らのセオリーを追求するツールにすぎない。

世間のセオリーを否定できない社員、セオリーすら知らない社員、世間はいろんな社員に溢れる。