イチローのはなし

毎年、打撃フォームを改造してきたイチロー
イチローは言う。
打撃フォームに、最終形は無い。
後戻りが在ってもよい。
近道は無い

アスリートとして、
死がちかづているのを、感じる。
その時、現実には難しいと思うけれど、
笑って死にたい。

何故自分に、
ここまで厳しくなれるのか。
わたしにはとおくとおく及ばない。
神に選ばれた男、永遠の修行僧にみえる。

ハイブリット工芸

工芸の院生の作品を観た。
陶芸と漆のハイブリッド工芸とのこと。

単一素材で表現できず、ハイブリッドなら表現できる確信的イメージがあるとき、ハイブリッド工芸が成功するのだと思う。
ハイブリッドだから何かが生まれるのではなく、ハイブリッドが技法として予め存在するのではなく、優れたハイブリッド作品は、必然として出現することがある、という事なのだと思う。順番が違う。

イチロー引退会見

むなしくバットが空を切る。屈辱的なアウトに終わっても、イチローの表情は変わらない。むしろ、背筋を伸ばし、胸を張り、悠然とベンチに戻っていく。

「4千の安打を打つには、8千回以上は悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきた。誇れるとしたら、そこじゃないかな。」

演技論

生い立ちを背景とした主人公は、どのような性格になっていて、その時どのように反応をするのだろう、と役者は考えるのだろうか。小説映画の登場人物あるいは過去の知人の言動を通じ考えるのだろうか。
あるいは、自分がそのような生い立ちであるなら事件のとき自分は必ずこのように反応する、と考えるか。
どちらの演技論が正しいのか。
役者の存在理由とは何か。