「詩人とコスモス」

谷川 俊太郎さん 24才

 

日本にはたしかに素人詩人が多すぎるようだ。彼等はまるで中学生のように、自分のいいたいことばかりを、勝手な言葉でいい散らす。そこには読者への心づかいもなければ、商品としての体裁もない。そうして一方では彼等は別の職業で糊口をしのいで、詩はただの告白や宣伝の道具にしてしまう。

 

詩をつくるということは、個人的な情熱のはけ口ではない筈だ。それを一個の商品と考えていい程、詩は社会的なものである筈だ。ぼくらはいいたい放題をいえばいいのではない。ぼくらは常に自己への誠実と、社会への誠実との間で苦しまねばならないのだ。詩の技術の問題もそこにあるのではないだろうか。片手間に医者がつとまらないのと同じように、ぼくらは片手間に詩は書けない。詩人が職業として成立しない社会は勿論いけない。同時に詩人を職業と考えない詩人もいけないとぼくは思う。

 

その先ず第一の答は、そうしたいから、という答であり、そして次の答は、そうしなければならないから、という答だ。

 

つくりたい、という気持は、詩人の情熱なのだ。そしてつくらねばならぬ、という気持は、詩人の広い意味でいって道徳(モラル)である。前者は詩人の宇宙的(コスミック)な生命のあらわれであり、後者は詩人の社会的(ソシアル)な人間のあらわれであると考えていいとぼくは思う。一つの詩は、作者の意識的であるなしにかかわらず、つくりたい、に出発して、つくらねばならぬ、を通って完成へと導かれるものだとぼくは考える。