常識のレベル

 3才のとき祖母がじゃがいもを剥いていた。「どうしそんなに厚く剥くの、もったいない」と言った。
 5才のとき小学校で知能テストがあった。教室に何組かの児童が居た。左右にいくつかの形が描いてあり、ひとつの形を指して「これと同じ形はどれですか」と先生がわたしに訊いた。じっとみていたわたしを母がこずいた。周りの児童を見た。周りの児童は問題がなさそうにみえた。わたしは同じようにみえるひとつの形を指した。同じと同じようにみえる、は異質である。学校の先生はなんと頭が悪いのだろうとおもった。後年、東大卒の若い友人は暗黙のルールがあると主張した。暗黙のルールが共有されるとするなら知能レベルが同一のときでしかない。知能レベルが低すぎるとしか言いようがなかった。
 11才のとき巡りあった先生に、こんなすぐれた先生がいたのかと吃驚した。常識のレベルが高い。佐々木修治という先生だった。彼は、知能が低い先生と暗黙のルールを共有しなかった。
 懸命に勉強している人は可哀想だと思った。知能がひくい人は可哀想だった。高校生のとき、懸命に勉強すれば誰でも一番になれるから少しも偉くはない一番勉強しないで一番になるのが一番偉い、と言う先生に出会った。そのように言う先生は初めてだった。東大卒で奥さまも東大であったが専業主婦をしておられた。東大生の多くは常識のレベルが低いつまらない大学だと言った。教頭先生で古文担当だった。授業中よくわたしを指名され寄らば大樹の陰と云うが泰樹とは大きく違うとも言われた。鈴木勝といいわたしと同級の娘さんがいた。忍さんといった。二年のおわりに陸前高田高校の校長先生に赴任され同年同高校の火災により死去なされた。無念だった。
 わたしは大学に入学し1年間1度も受講をしなかった。わたしの大学では年度末単位取得試験受験資格に受講回数があったらしい。出欠の記録をとらない科目が3科目あった。3科目の単位がとれた。京都大学の或る学長は入学式のとき、京都大学が何かを教えてくれるとあなた達が期待していたとしても京都大学は何ひとつ教えません、と宣言した。わたしの大学の学長とは異なり常識のレベルが低くはなかった。
 東大生は東大を好きな人が多い。中学で高校で大学で推薦で現役で浪人で入学する。夫々学歴コンプレックスの人が多い。東大コンプレックス学歴コンプレックスがあるのではと質問されたことがある。東大卒と高校から早大の人だった。東大は東大を早大早大をレベルが高いと思いたいようにみえた。多様な常識である。

15才のとき常識の一切を否定し自分の常識を創ろうと考えた。76才にして未了である。

下限賃料

下限賃料を公表するとは呆れた不動産屋がいるものです。公務員が下限価格を漏らすと警察に捕まり前科が付きます。会社なら減給です。仕事をしなくて済むから楽なのでしょうが、利益増大のチャンスを捨てることになります。下限公表は相場を下げるのです。このような仕事をすると、どんな会社に行っても未來がなくなるのです。もしこのような仕事を教える先輩が居た場合は、必ず軽蔑してください。腐ったリンゴにならないで下さい。

子をすてる遺伝子をもって生まれたのは自分の責任ではないと思いたいのだろうがそうではない。生まれたくなければ流産したかもしれないし死産だったのかもしれない。あなたは生まれる意思をもって生まれた。あなたにはあなたが生まれた理由を解明する義務があります。蜻蛉の卵はうまれることをえらんで生まれてきたのだから。