天才について

カサヴェテスは観たほうがよいと思う。カサヴェテスが"フェイシズ"を撮影していたころの映画"アルジェの戦い"にひどく感動した記憶がある。

名画は時代が創るように思う。その時代でなければその名画は作られなかったのではないか、天才も時代が生むのではないか、その時代に生まれなければ天才とはならなかったのではないか、とも思う。天才は時代のきれめに生まれるような気がする。

不平不満

 "不平不満を言う社長"を検索すると不平不満を言うサラリーマンの話ばかり。不平不満は社長になってから言え、との見解が圧倒的多数。不平不満を言うサラリーマンの性格の傾向は、欲だけは深く社長によく似ている。不平不満は社長の専売だから、社長以外不平不満を言ってはいけないということなのだろう。

法律家

綿密に判例を積み重ねてから考えを纏める法律家は、判例の交通整理が本人の体質もしくは生きかたに左右される。

努力しても本質は解らない。本質が解るのは謙虚な天才だけである。

判例を調べる前に本質を直観する天才が稀にいるのではないかと期待したりする。

謙虚な人と謙虚でない人がいる。謙虚でない人は無知であり辟易する。誤解だったりするけれど稀に謙虚かもしれないと思える人もいる。稀に本質を直観する謙虚な天才がいるのではないか、と期待する。

言うべきなのだが発言すれば損をすると考える人は多い。それを悪いことではないと考える人は、許されることはない。例え発言が無くても、悪いと考える人は許したい。私も許されたい。

うしろ指をさされない生き方が佳い生き方だと考える人は多い。自分の醜さに永遠に気づかない人たちである。

死体

初めて見た死体は
おじいさんの死体
六才の時
唇に水をあげた
父と母と弟がいた

二度目は親友の死体
二十五才の時
築地警察地下一階
会う約束だったけれど
ビルの屋上から飛び降り
電線にバウンド
体操のように着地した
飛び降りなのに
きれいな死体だと言われた
学生結婚の
奥さんが来ていた
家に帰るのは惰性だ
何の意味もない
と親友は言っていた

三度目はおばあさんの死体
三十九才の時
老人ホーム近くの旅館
観音さんのように
きれいな顔をしていた

四度目はおやじの死体
四十九才の時
岩手の実家
罪人のように
針金で
手首を縛られていた

五度目は部下の奥さんの死体
六十才の時 葬儀場

弟が十一年前に死んだけれど
死体は見ていない

死体は
動かなかった
手も顔も
冷たく
動かなかった
ひとではなかった
未練が消えたように
きれいな顔だった

わたしは
いま七十四才

経営者の資質

赤字決算は、新コロナによる顧客の萎縮が原因であるから経営責任はないと考える経営者と、対策を考えなければならない社長の能力不足が原因であるから経営責任があると考える経営者がいる。

三十年前バブル崩壊が始まり不動産価格は暴落した。都市銀行長期信用銀行のことごとくが消滅した。不動産を所有する殆どの不動産会社が破綻した。わたしの知る限り、破綻した不動産会社の社長は例外なく原因をバブル崩壊とし、一人として自らの無能が原因であると表明することが無かった。